後悔と学び
昔、心から「申し訳ない」と思う出来事がありました。
生活保護で一人暮らしをしていた男性のSさん。
肝臓癌末期。
腹水でお腹が腫れ上がったことと、だるさが強いために外出するのがままならなくなってしまいました。
それまではヘルパーさんが付き添って近くのクリニックに通っていたのですが、アパートの2階に住んでいるために下まで降りられなくなったのです。
「クリニックの先生が往診に来てくれることになったんだけど、入院は拒否してるんです。先生も看護師入れろって言ってるし、急に動けなくなったし、ぐるりさんのところで早めに介入してくれませんか?」
ケアマネからの依頼で、行ってみました。
真夏の炎天下のなか、6畳の和室にはタンスがひとつ。
ブラウン管のTV。
小さなテーブル。
日の差し込むカーテンのない窓際に、布団を敷いてSさんは寝ていました。
妊婦のように膨れ上がったお腹をして、黄疸で全身がうっすら黄色くなっていました
挨拶で手を挙げるのも億劫なほどの倦怠感。
身体は汗でびっしょりでした。
「大丈夫だよ。心配しなくていいよ、だるいだけだから。」
と、力なく笑っていました。
トイレは四つん這いになってどうにか行けていると。
入院するつもりはないと。
このままでいいと。
もう長くない事はわかっていると。
辛い身体を抱えつつ穏やかに話すSさん。
ケアマネが入院を勧める会話を繰り返す中、とりあえずこの暑さを乗り切る方法を頭の中でグルグル考えていました。
「どうすればいい?なにができる?」
寝たままでも飲めるゼリー飲料や、甘いものが好きなSさんのリクエストで飴やプリン…
そんなものをケアマネに買いに行ってもらいました。
その間に、押入れにあったプラスチック衣装ケースの蓋を外して枕元に簡易テーブルを作り、綺麗そうなタオルを探しだして身体を拭きました。
その日の午後、先生が往診に来るというのでもう一度時間を見計らって訪問。
私が着いたときに先生は既に到着していて、強ミノ(肝臓のお薬)を注射しながら入院の説得中でした。
「Sさん、このままじゃ死んじゃうよ!ここにいても何も治療出来ないから病院行こうよ!」
先生は一生懸命繰り返しました。
「Sさん!!ここじゃ死ねないんだよ。ここで死んだら大家さんにも迷惑かけるでしょ!?看護師さんも心配してるよ‼みんな心配してるんだから入院しようよ!!」
ずっと後ろで聞いていた私は(そんなことない…。家で死ねる…。)
と思っていました。
(それ以上言わないで先生…。酷いこと言ってる…。)
そう確かに思っていました。
なのに何も言えなかった。その頃の私には先生に説明出来るだけの法的知識も、知恵も、自信も、度胸も…無かった。
先生は「入院するように説得してくれ」と言って、帰って行きました。
その後、先生と話して疲れている様子のSさんとは長い話はせず
「どうにかしよう。私も考えるから。ここに居られる方法を考えよう。」
と言って、ゼリー飲料を飲んでもらってから退室しました。
とても一人でトイレに行けているとは思えないSさんの様子が気になり、夜の勉強会が終わった21時頃に、のぞきに行ってしまいました。
普段、あまり私情を挟まず仕事をする自分。
どうして行こうとするのか。アパートに向かいながら考えていました。
アパートにつくと台所の電気が付いていて、ほっとして、玄関を開けると目の前の台所でSさんがそうめんを茹でていました。
「あれ?どうしたの、ぐるりさん?」
聞くと、強ミノが効いたのか少しだるさが取れたので夕食を作っていたと。
「そうめんしか無いけど、一緒に食っていくか?」
冷蔵庫には玉ねぎが1個。味噌もあったので
「にゅうめんにしようか。」
と二人で作って食べました。
暑い部屋で熱いにゅうめんを、小さなテーブルで食べました。
「Sさん、入院したくないんだよね。ここで死にたいんだよね。」
「あぁ。もうやることやってきたから、何にも要らないんだよ。生活保護だし、入院して金使うこともねぇだろ?」
「でも、不便だし苦痛もあるんじゃない?病院が快適だとは言えないけど。」
「もともと不便な中で生きてきたんだよ。今さら怖くもねぇよ(笑)」
「分かった。この週末にどうしたらいいか考えてくるね。ご馳走さま。」
その日は金曜日でした。
週明け早々にケアマネから連絡がありました。
唯一の肉親である甥がバイクを飛ばして遠方から駆けつけ……甥の説得で入院をしたと聞きました。
病床のSさんに会いに行くと
「いいんだよ。これも俺が決めたんだから。ぐるりさんは悪くないから謝らなくていい…。」
穏やかな笑顔で言ってくれましたが、病床に伏すSさんは10歳以上年を取ったように見えました。
知識がないこと、
自信がないこと、
度胸がないこと……。
そんな自分を気付かせてくれたSさん。
心から申し訳ないと思う分だけ、前進しよう、成長しようと今は思っています。