ぐるりな訪問看護師もいいもんだ

人生に関わる仕事はおもしろい

障害受容って結局なんなんだ⁉

今日は仕事の話から離れて、ちょっと箸休め。

 

 

 

息子が言葉を失ったのは1歳を少し過ぎた頃。

 

産まれたときも大きめだった息子は恐ろしい勢いで大きく(太く)なり、4ヶ月にして「母乳は控えろ」と医師に忠告され、ミルクも薄めて飲ませたにもかかわらず生後6ヶ月にはすでに2才児の平均体重を越えていた。


「愛想が良くないと重くて抱っこしてもらえないからね」

 

と、よく言われるほどニコニコと人見知りも全くせず愛想のいい赤ちゃんだった。

(貫禄は永田町リーマンなみ)

 


重度の中耳炎で苦戦はしていたが、娘の育児で鍛え上げられた私には非常に楽チンな育児(筋トレ)だった。

(最強娘の話は、またそのうち)

 

 

1歳になっても「パパ」だか「まんま」だか「バイバイ」だか判別できない喃語が辛うじて聞き取れるレベルだったが、娘の発達が早すぎただけで普通はこんなもんだと思っていた。

 


……………が、

 

ある日を境に全く「言葉」を発しなくなった。

あれ?と思った時には目も合わなくなっていて、呼んでも振り向かなかった。

中耳炎の件があったので聴力に問題があるのかとも思ったが、TVの音には誰よりも敏感に反応した。

 

 

それからは、次から次へと怪しい行動が出現。

 

 

ヒラヒラパタパタクルクルと数時間続く手遊び。

 

耳に指を突っ込むと転んでも手が耳から離れない。
よって顔面強打。(でも泣かない)

酷いときは更に目をつむり歩き回るため壁に激突。(それでも泣かない)

 

↓そんな息子を助けもせず写真に収める私もどうかと思うが


「ヘレン(ケラー)ごっこ」と私はこっそり名付けていたが、今思えばあれは強すぎる刺激を遮断していたんだろうなぁと…。

 

 


指さしが全く出来ず、こちらが指をさしてもその意味が理解不能

(指さした方向を見ない)


目が合わないので除き込むと目をそらす。


ブツブツと独語。(たまに奇声)


物を見るとき片目の端だけで横から見る。


どこででも、いきなり直立の格好でうつ伏せ、動かない。

(顔も完全に下向き)

 

直立でうつ伏せっておかしな表現だな。

きをつけのポーズのままうつ伏せているのを想像してほしい。

面白いけど不気味だ。


足元にあるものを蹴り出すと止まらない。

お陰でドリブルだけは神童なみ。


鉛筆を握って○(まる)だけを数時間書き続けたことも。

 


そのうち、ヒモ状のものを見付けてはクルクルと振り回し続けるようになった。

いや…瞬速なので「ビュンビュン回した」かな。

キーホルダーを回されると危なくて仕方ないので30cmほどの柔らかいヒモを持たせた。

回すものがないと腕を回したり自分が回り出すので、ヒモが手放せなくなった。

 


当時息子を預けていた保育ステーションでは、息子用のヒモが10本近く用意された(笑)


回しているヒモが絡まると必ず

「いぃ~たても‼」

と叫ぶ。

なんのこっちゃさっぱりわからないが「ヒモほどけ」の意だと判明。

それ以外は全ておうむ返しのみの発語だった。

 

 

音に敏感で、女性用トイレによくある音消し用の流水音に震え上がりパニック。

以後、1年ほどは女子トイレへ連れていけなくなった。


何故か着ぐるみに恐怖を覚え、100m先でもそれらしきものを見つけると一歩も進めなくなる。

 

遊園地なんて入場もしていないのに近付くだけで、震え上がり耳を塞いでカタカタと震えだす。

 

電子音のでるオモチャがあると、その部屋に近付くこともしなかった。

(光るものは大好き)

 


取ってほしいものや気付いてほしい(たぶん)ものがあると、私の背中を押してその物の前まで連れていく。

グイグイ押す。

よく、冷蔵庫と息子の間に挟まれた(笑)

少し進歩すると、私の手をそれらしき所に持っていくようになった。

 

が、

「これがほしいの?」

と聞いても答えないし見もしないのでさっぱり不明。

「どっちが欲しい?」

と二択させようと物を見せても、そもそも彼の辞書には(指差し)という行為が載っていないため、選べるわけもなし。

 

 


毎日が???だった。

 

 


(自閉系?)

 

と何となぁくは考えていたが、

実家の母に電話で息子の話をしている時に

「それ、クレーン現象じゃないの?」

と言われて確信した。

 

よく考えれば、自閉症状のモデルケースのようだったのに人に指摘されるまで実感がなかった。

 

 

 

娘の時もそうだったが、病院に行こうかと思ったことは無く、何処かに相談しようという発想には至らずにいた。


ただ、本は沢山呼んだ。


治したくて、救われたくて………

ではなく、

息子が何を感じ何を訴えているのかが知りたかった。

そのヒントを求めて読みあさった。

 

 

 

2歳半でようやく移った認可保育園が、ハンデのある息子にとってはとんでもなく酷いところで、入所1ヶ月にして異動願いを役所に届けた。

希望が通るとは思っていなかったが、届けずにはいられなかった。

 

 

 

異動願いの申請書を役所で記入しながらなぜか涙が止まらなくなり、書類記入がなかなか進まない。

そんな私を見てか、役所の人が市立保育所の障害児枠の申請があることを教えてくれた。

 

 


あのとき、どうして泣いたんだろう。


腹が立っていたのか…

息子がかわいそうだと思っていたのか…

悔しかったのか…。


いや違うなぁ。

社会の厳しさに対して浅はかだった自分。

そのために苦境に立たされた息子に対しての申し訳なさで泣けた。


つらい環境にさらされてもなお、文句の一つも言えない、沈黙の息子の姿が脳裏に焼き付いて離れなかった。

 

 

障害児枠の申請に裏付けが必要で、先ずは市がやっている教育センターに行った。

 

娘の時にお世話になっていたので

「今度は弟くん?」

程度のフレンドリーな反応で対応してくれたが…

姉の時とは違って、すぐに受診を勧められた。

 


近くの大学病院に専門外来があると教わり、問い合わせた。

当時発達障害は軽くブーム(?)となりつつあり、きっと予約が一杯で数ヶ月は待たされるだろうなと思っていたのに、あっさり受診にこぎつけた。

要らぬところで本業精神を発揮してしまう私は、診察時間が長引かないようにと考えて、今までの経緯をザックリ書いて持参。


それを見た先生。

「お母さん、色々分かってるようだから言うね。きちんとした検査も必要だけど、自閉症だと思うよ。経過を聞く限りシビアなレベルだと思う。これから頑張りましょう。」


「ですよねぇ…( ̄▽ ̄;)」


いわゆる折れ線型と言われる経過を見事にたどっていた。


息子は診察室にずっとはいられず、夫が連れて出てくれた。

ちょうどその時先生のピッチが鳴り、別件の連絡が入った。


「~です。…あ、ちょうどよかった。あのさ、今来てる子の療育頼みたいんだけど枠空いてる?うん。3歳の男の子。自閉と知的障害ね。」

 

 

なぬぅ⁉⁉⁉⁉

知的障害もあんのぉ⁉⁉⁉⁉⁉⁉⁉



と、内心驚き、心中で先生にツッコんでいた。

 

考えていたよりも若干大変そうだなぁ…これから。

 

それが私の感想だった。

 

 

 

その後しばらくは本当に「大変」だった(笑)


脳波やMRIの検査はなかなか上手く出来ず、親子でヘトヘトになった。

寝てくれないと検査にならないので外来で眠剤の坐薬を入れるんだけど、

(こんなものに負けてたまるかぁ‼)

と、本人が思っているかどうかは定かではないにしろ、まぁ抗うあらがう。

ヘロヘロになりつつも、病院内を徘徊しまくり転びまくる。

捕まえて、担いで(相変わらず重いです)、検査室にたどり着く頃にはう◯こと一緒に坐薬はオムツの中へ…………

 

そしてまた外来へ戻り、坐薬。

そのループで1日終了。

 

保育所申請の件が無かったらギブアップしてたかもしれない。


知能検査は例の初診の時に先生にピッチをかけてきた人で、ベテランST(言語聴覚士)が実施してくれた。

が、これまた指示が全く入らず判定不能(笑)

STの見解としては

「経験上だけで言えば1歳~1歳半程度かな?今後の成長にもよるけど、中等度の障害になる可能性は覚悟しておいて。」

とのこと。


(へぇ~。中等度ってどのくらいなのさ?)


のんきな私と、帰りたくて仕方がない息子の執拗なほどの逆転バイバイ(手のひらを自分に向けてするバイバイ)を、STは複雑な表情で見送ってくれた。

 

 


その後は怒濤の療育ラッシュ。

探し回った訳ではなく、芋づる式に増えていった。

大学病院のSST(ソーシャルスキルレーニング)に

重症心身障害児センターでのSTとOT(作業療法士)

言葉の教室でのST

教育センターでのトレーニン

 

 

本人が嫌がらないので連れて行ったが、仕事もままならない多忙さだった。


今考えれば、非常に恵まれた環境だったと思う。

 

 

 

当時を思い返して考えることがある。


「障害の告知」とやらに衝撃を受けなかったのは何故か?

受診前から「障害」だと思っていたから?

じゃぁ、気付いた(確信した)時にショックを受けたか…いや、そんな記憶ない。

 

SSTなどで知り合った、同じような子を持つお母さん達はみな口を揃えて

「ショックだった」と。

「しばらく立ち直れなかった」と言う。

外来で泣き崩れたというお母さんもいた。


我が子が障害であった場合、どうして親はショックを受けるのか?

障害受容過程の5段階だか11段階だかあったよなぁ。

あれ、登った記憶がないんだよなぁ。

自覚してないだけかなぁ。

何か釈然としないよなぁ。

 

 

 

その後、何故かめまぐるしい成長をしている息子。


障害だなんて、恐れ多くて(?)言えない感じになり、いつの間にか病院通いも卒業した。

 

何だか不思議だ。

 

オムツが外れるのも、

会話をするのも、

箸が使えるのも、

音が怖くなくなるのも…

全部ぜんぜん想像できなかったのに、

出来てる。

 

出来なくてもどうにかしただろうけど、

出来てる。

 

そして今や立派な(いや、立派かどうかはあやしいが)高校生である。

農業高校で楽しく果樹を育てたりしている。

たまに作った野菜なんか持ち帰ってきてくれた日には

「物価高騰のこのご時世。お前は神か。」

とほめたたえている。

 

 

 

だから今、思い返すのかもしれないなぁ。

私(母)は、あの頃何を思っていたんだろうって。

 

 

秋の夜長は何だか色々思い出すなぁ…